「大丈夫、ひとりでなんとかするから」
その言葉が、どれほど自分を苦しめていたかに、気づくのが遅すぎた。
「ひとりで抱え込んだ方が楽」と思っていた
「頼るぐらいなら、自分でやったほうが早い」
そんな考えが、ずっと私のなかにありました。
人に何かをお願いするくらいなら、少し無理してでも自分で背負ったほうがいい。
それが“気を使わずに済む生き方”だと思っていたんです。
🔍補足:
このような考え方は、真面目で責任感の強い人に多く見られます。
「迷惑をかけたくない」という優しさの裏に、自分の弱さを他人に見せたくないという“自尊心の防衛”が隠れていることもあります。
なぜ“助けを求めること”が怖かったのか
思い返せば、昔から「弱さを見せたら、見下される」とどこかで思っていました。
だから、つらいときほど笑顔を作り、しんどいときほど明るく振る舞っていました。
でも、その明るさの下には、誰にも気づかれない孤独がありました。
「なんでもひとりでできる人」と思われるほど、
ますます誰にも頼れなくなっていく、そんな悪循環の中にいたのです。
🔍補足:
「ポジティブでいなければならない」「弱音は人に聞かせるものではない」といった思い込みは、いつのまにか自分を“孤立”へと追いやってしまいます。
そしてその孤立は、無意識のうちに「誰も助けてくれない」という誤解を生む原因にもなります。
そしてある日、ぽっかりと心の底が抜けるような感覚に襲われました。
「誰も私のことを本当には知らないんだ」
そう思ったとき、自分がどれほど“つながり”を求めていたかに気づきました。
弱さを見せることは、負けではなかった
あるとき、意を決して、友人に「ちょっと聞いてもらってもいい?」と話しかけました。
手が震えるくらい緊張していたのに、返ってきたのは想像とは全然違う言葉でした。
「そんなふうに話してくれて、うれしいよ。頼ってくれて、ありがとう」
その瞬間、何かがほどけた気がしました。
「頼る」って、こんなにあたたかいことだったんだ。
「迷惑」じゃなくて、「信頼」だったんだ。
そう思えたとき、これまで自分がどれだけ“孤独を選んでいた”かに気づきました。
🔍補足:
「頼る=依存」ではありません。
健全な人間関係とは、お互いが支え合い、必要なときに必要な言葉や手を差し伸べられる関係です。
誰かに頼ることは、その相手を信じる行為でもあり、人と人とのつながりを深めるきっかけになります。
ひとりでがんばってきたあなたへ
今でも、「全部自分でやらなきゃ」と思ってしまうことはあります。
でも、少しずつでも「頼っていい」「甘えていい」と思えるようになってきました。
誰かに弱さを見せることは、敗北じゃありません。
それは、人との距離が少しだけ近づいた、小さな一歩なのだと思います。
もし今、誰にも言えずに心がつらくなっているなら。
「助けて」と言っていい。
そのひとことで、世界の見え方が変わることだって、あるのです。