構造改革の誤解—「農協解体論」の背後にある新自由主義の罠

時事問題
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「農協は非効率で時代遅れだ。もっと自由競争に晒せば農業はよくなる」

そうした主張が盛んに語られたのは、小泉政権時代を思い出す方も多いのではないでしょうか。

このような農協批判の背景には、「構造改革」の名のもとに推し進められた新自由主義的な経済思想があります。

けれどもそれは、本当に日本の農業の実態に合ったものだったのでしょうか?

今回は、農協解体論の背景にある思想と、その落とし穴を考えてみたいと思います。

 

「構造改革」=正義、という幻想

2001年に発足した小泉内閣のスローガンは「聖域なき構造改革」。その対象には金融、郵政、医療、教育、そして農業も含まれていました。

このとき農協は、「非効率で既得権に守られた旧体制の象徴」として標的とされました。

しかし実際には、農協は地方における金融・共済・営農支援・物流など多面的なインフラを担っており、単純な「民営化」や「自由化」の文脈で論じられるべきものではありません。

 

アメリカ型農業モデルの盲信

構造改革を推進する一部の経済人や政治家は、アメリカのような「大規模・企業的農業こそが理想」と主張してきました。

しかし日本の農地は狭く分散しており、耕作放棄地や中山間地域が多数存在します。

これをそのままアメリカ型のスケールメリットで乗り切ろうとすれば、過疎地や小規模農家は確実に排除されることになります。

現実に目を背けた机上の理想は、農業の現場を破壊しかねません。

 

「民間に任せればうまくいく」は本当か?

農協解体論者の多くは、「民間企業に任せれば、もっと効率的に資材を調達でき、農産物の販売も合理化できる」と主張します。

しかし実際には、民間企業は利益の出ない地域や事業からは即座に撤退します。

全国津々浦々にサービスを届けてきたのは、営利を目的としない協同組合であるJAだったのです。

さらに農協は、資材価格の高騰を抑えるために共同購買や国際入札などを行ってコスト低減に努めてきたという事実も、多くの人に知られていません。

 

解体の果てに得をするのは誰か?

もし農協が解体されたら、その市場には誰が入ってくるのでしょうか?

大手商社、アグリビジネス、金融資本…。彼らが求めるのは、あくまで利益であって地域や農家の持続性ではありません。

結果として、農家は資材費の高騰や不利な契約条件に晒され、営農の継続が困難になるケースも増えることが予想されます。

構造改革の美名の裏には、こうした利権の再配分という現実的な動機が潜んでいることを忘れてはなりません。

 

結論:「改革」ではなく「再構築」を

農協にも課題はあります。組織の硬直化や意思決定の遅さ、非効率な部門があることも否定できません。

しかしそれは「解体」ではなく「再構築」や「内部改革」で対応すべき問題です。

農家を守り、地域を支えてきた組織を壊してしまえば、元には戻せません。

構造改革という名のもとに、私たちは何を失おうとしているのか?

この問いを忘れずに、農業の未来を考えていきたいと思います。

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