石油利権の次に起きたもの―アメリカの政治介入とイランの反発の形成

時事問題
この記事は約3分で読めます。

1 「利権の時代」から「介入の時代」へ

前回見たように、イランにおける石油利権の問題は、主としてイギリス
によって形成されました。しかし、この構造はそのまま固定されたのではなく、やがて新たな段階へと移行していきます。

その転換点となったのが、一九五一年の石油国有化と、それに続く一九五三年の政変です。ここで歴史の主役は、イギリスからアメリカ合衆国へと移っていきます。

すなわち、「資源をめぐる利権の問題」は、「国家の政治そのものへの介入」という次の段階に進むことになります。

 

2 石油国有化と主権回復の試み

一九五一年、首相モハンマド・モサッデクは、外国資本に支配されていた石油産業を国有化します。

これは単なる経済政策ではありませんでした。長年にわたる不平等な利権構造に対する是正であり、国家主権を回復しようとする試みでした。

しかし、この決定は当然ながらイギリスの強い反発を招きます。石油は単なる資源ではなく、国家の安全保障と直結する戦略物資だったからです。

 

3 イギリスの限界とアメリカの登場

イギリスは当初、経済制裁や国際的圧力によって状況を打開しようとしましたが、決定的な成果を上げることができませんでした。ここで登場するのがアメリカです。

冷戦が本格化する中で、アメリカは中東における影響力を強めようとしていました。そして、イランの政情不安が拡大することは、ソ連の影響力が及ぶ可能性を意味すると考えられていました。

このような国際情勢のもとで、アメリカはイギリスと協力し、政権転覆に踏み切ります。

 

4 一九五三年のクーデター―政治への直接介入

一九五三年、いわゆる「アジャックス作戦」によって、モサッデク政権は打倒されます。

この作戦には、アメリカの中央情報局(CIA)とイギリスの情報機関が関与しており、デモの扇動、政治工作、軍の動員などが組織的に行われました。

その結果、モサッデクは失脚し、王制が再び強化されることになります。

ここで重要なのは、この出来事がイラン人にとってどのように受け止められたかです。

それは単なる政権交代ではなく、「外国によって民主的な選択が覆された出来事」として記憶されることになりました。

 

5 親米政権の成立と不満の蓄積

クーデター後、復権したモハンマド・レザー・パフラヴィー(シャー)は、強い親米路線を取ります。

アメリカはこの政権に対して、軍事支援、経済支援、政治的後ろ盾を提供しました。

しかしその一方で、国内では反対勢力への弾圧が強まり、秘密警察による監視や抑圧が広がっていきます。

この状況は、多くの国民にとって、「自国の政権が外国によって支えられている」という認識を生み出しました。

ここにおいて、イランにおける反発の対象は、過去のイギリスから現在のアメリカへと移行していきます。

一九七九年、イスラム革命が起こり王政は崩壊します。革命後、亡命していたシャーがアメリカに受け入れられると、イラン国内では再び外国の介入への強い警戒が高まりました。

この流れの中で、学生らによるアメリカ大使館占拠事件が発生します。

 

6 まとめ―なぜ反米感情が中心となったのか

イランの近代史を通して見ると、外部勢力との関係は二つの段階に分けることができます。

第一に、イギリスによる石油利権の形成。
第二に、アメリカによる政治介入とその後の体制支援。

この二つは連続していますが、性質は異なります。

前者が「経済的支配」であったとすれば、後者は「政治的主権への直接介入」であり、より深い影響を社会に残しました。

その結果、イランにおいては、歴史的な不満の象徴としてのイギリス以上に、現実の体制を規定したアメリカに対する反発が強く意識されるようになったのです。

 

タイトルとURLをコピーしました