「ちゃんとしなきゃ」の呪い― 他人の目を気にしすぎて、自分を見失っていた話 ―

雑学
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評価されることが生きがいになっていた

私は長い間、「ちゃんとした人」でいようとして生きてきました。
時間を守る。仕事はきっちりこなす。身なりも整える。ミスをしないように気を配る。

「だらしない」と思われるのが怖くて、とにかく周囲の期待に応えようとしていました。

誰かに「えらいね」「まじめだね」と言われると、それが報酬のように感じて。

知らず知らずのうちに、“評価されること”が自分の存在価値になっていたのです。

🔍補足:
他人の期待に応えることで承認欲求を満たすのは自然な心の働きです。

しかしそれが自分の価値基準のすべてになってしまうと、自己肯定感を他人の評価に預けることになり、常に不安定な状態に陥ってしまいます。

どんなに“ちゃんと”しても心が満たされなかった理由

でも、いくら頑張っても、どこか満たされない感覚がありました。

たとえば職場で成果を出しても、「もっとできるはず」と自分を責めてしまったり、ほんの少しの指摘に、心が折れてしまったり。

家でも「いい人」であろうとして、自分の希望や感情は後回し。“正しくあること”が最優先で、気づけば、自分が何を感じているのかすら分からなくなっていました。

🔍補足:
「ちゃんとしている」は一見ポジティブな評価ですが、それを自分に課しすぎると、自由さ・遊び心・素直な感情表現といった“人間らしさ”が抑え込まれてしまうことがあります。

その結果、達成感があっても心が満たされず、「何のために生きてるの?」という虚しさに繋がることも。

「自分の基準」で生きるってどういうこと?

ある日、ふとした会話の中で「あなたは何が好きなの?」と聞かれたとき、うまく答えられませんでした。

「ちゃんとした答え」を探そうとしている自分に気づいたんです。でもその問いに、“正解”なんてないはずなのに。

そこから少しずつ、私は「正しさ」ではなく「本音」に目を向ける練習を始めました。

「今日どうしたい?」「何が心地いい?」

そんなふうに自分に問いかけて、小さな選択から“自分の基準”を取り戻すようにしたんです。

🔍補足:
「自分の基準」とは、周りと比べて優れているかどうかではなく、“自分がどう感じるか”“何を大切にしたいか”という内側の声に従って行動することです。

それはわがままとは違い、自分との関係を大切にする健全な在り方です。

ちゃんとしていなくても、大丈夫だった

今でも「ちゃんとしなきゃ」と思うことはあります。でもそのとき、「本当に必要?」と、自分に聞き返してみるようになりました。

散らかった部屋の日があってもいい。仕事に全力を出せない日があってもいい。誰かの期待を裏切ってしまう日も、あるかもしれない。

それでも私は、私としてちゃんとここにいる。そう思えるようになったことが、何よりの回復でした。

最後に:誰のために「ちゃんと」しているの?

もし今、あなたが「もっとちゃんとしなきゃ」と心をすり減らしているなら、一度立ち止まって、自分の声に耳を傾けてみてください。

あなたは、すでに十分ちゃんとしています。そして、ちゃんとしていなくても、あなたの価値は変わりません。

“自分の基準”で生きること。それは、静かだけれど、確かな強さを育ててくれます。

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