小さなミスでも、何日も頭から離れなかった
ほんの小さなミスが、ずっと心に残って離れなかった。
「なんであんなこと言ったんだろう」
「ちゃんと確認すればよかったのに」
何度も何度も、頭の中で巻き戻しては再生してしまう。
失敗したことを、すぐに忘れられる人がうらやましかった。
私はいつも、「あの時こうすればよかった」「あの一言がまずかった」と考え出すと止まらなくなる。
誰も気にしていないような些細なことでも、私の頭の中では大事件。
夜になってもふと思い出して、ひとりで顔をしかめたり、ため息をついたりしてしまう。
補足:
こうした「失敗を繰り返し思い出してしまう」状態は、反すう思考とも呼ばれます。
脳は不安や後悔に敏感に反応し、同じ思考をループさせてしまうのです。
決して“心が弱い”わけではなく、人間の仕組みによる自然な反応です。
「気にしすぎ」は性格じゃなく“癖”かもしれない
ずっと私は、「気にしすぎる自分の性格が悪いんだ」と思っていました。
でもあるとき、ある人にこう言われたんです。
「それ、性格というより“慣れた思考のパターン”かもね」
その言葉にハッとしました。
たしかに私は、「失敗=ダメな自分」という図式が無意識にできあがっていて、何か起きるたびにその“おなじみのルート”をたどっていた気がします。
補足:
私たちの思考には「慣性」があります。
いつも自分を責めていると、それが“定番のルート”になりやすいのです。
でも、ルートは気づけば変えることができます。少しずつ意識するだけで、思考の癖は書き換えられていきます。
自分にやさしくなれる考え方の転換
それから私は、失敗したときに
「どうしてこんなことしたの?」ではなく、
「そんなに気になるんだね」と、自分に話しかけるようにしてみました。
そして、「何が不安なの?」「何を大事にしたかったの?」と、自分の中にある“傷つきたくなかった気持ち”に目を向けるようにしました。
そうすると、不思議と少しずつ心がほどけていったんです。
「完璧じゃなくても、自分なりに大切にしたいことがある」
そう思えるようになってから、ミスを“人生の終わり”のように感じなくなりました。
失敗は「ダメな自分」ではなく、「経験した自分」
今でも失敗はします。
言葉を間違えることもあるし、やるべきことを忘れてしまう日もあります。
でも、以前よりも自分に対してこう言えるようになりました。
「大丈夫、それも自分だから」
「次はきっと、少しうまくできるよ」
失敗は、何かを学ぶチャンスであって、自分の価値が下がるものではない。
そう思えるようになったとき、心の中にあった「完璧主義の呪縛」が、少しずつほどけていきました。
最後に:やさしくなれる“もうひとつの自分”を育てよう
もし今、あなたが「また失敗した」と落ち込んでいるのなら。
「私はなんてダメなんだ」と責めてしまっているのなら。
その声とは別に、もうひとつのやさしい声を育ててあげてください。
「がんばったね」「大丈夫、やり直せるよ」
そう声をかけられる“もうひとりの自分”がいるだけで、
心はずっと軽くなるのです。
完璧じゃなくてもいい。
むしろ、不完全なままのあなたにこそ、深い優しさがあると私は信じています。