「国の主人公は国民」…のはずだったけれど
日本国憲法第1条〜第15条には、こう書かれています。
「主権は国民にある」
「公務員は全体の奉仕者である」
「国会は国権の最高機関である」
しかし、現実にはこの原則が機能していない場面があまりに多くあります。
とくに「税制」や「財政」の分野では、こう感じたことがあるのではないでしょうか?
「選挙で選ばれた政治家たちは、なぜいつも財務省の言いなりなのか?」
「国民の声より、官僚の意見のほうが強いって、おかしくない?」
今回は、政治家がなぜ財務省に逆らえないのかという、日本の“見えない権力構造”を解き明かします。
財務省とは、どんな存在なのか?
財務省は、日本の国家財政を担う中央省庁です。
国家予算の編成(各省庁の財布を握る)
税制の設計(どこから・どう取るかを決める)
国債・借金の管理(金融政策にも深く関与)
国会での“予算案答弁”は事実上すべて主導
つまり、財務省は「お金」と「情報」という国家の中枢を握る組織であり、実際の政策運営の“司令塔”です。
政治家は、なぜ財務省に逆らえないのか?
理由は単純ではありません。以下の4つの構造が重なっているためです。
❶ 政治家は「予算の通行証」を財務省に握られている
政治家がどれだけ声を上げても、その政策を実現するには、予算が必要です。そしてその予算案をつくるのは財務省。
予算をつけてもらえなければ、法案も選挙公約も“絵に描いた餅”になります。
そのため、政治家たちは財務省に逆らうことなく、「ご機嫌を取る」ことが習慣化してしまうのです。
❷ 財務省の情報力と“作文力”に、政治家は勝てない
法案の文案、予算の内訳、税収の試算、マスコミ向けの“説明資料”、こうしたものはすべて財務省が用意します。
政治家は「目を通すだけ」「読み上げるだけ」で、中身に反論できる力も時間もないのが実情です。
実際、税制改正の議論でも、議員は財務省の草案をほぼそのまま通すことがほとんどです。
❸ 逆らった政治家は“報復”される
過去には、財務省の方針に異を唱えた政治家が…
所属する政党内で冷遇された
地元への予算配分が削られた
マスコミによって“非現実的”と叩かれた
スキャンダルが報道された(情報源は…?)
こうした「見せしめ」のような事例があることで、他の政治家はおとなしくなるのです。
財務省は表立って命令を出すことはありませんが、「逆らうと怖い」空気だけは確実に伝染しています。
❹ メディアと財務省は“同じ情報の水槽”にいる
大手マスコミ(新聞・テレビ)は、霞が関の記者クラブに所属しており、政策情報を財務省から“レク(レクチャー)”という形で得ています。
このため、財務省の方針には好意的に報道し、財務省に批判的な政治家は「ポピュリスト」「無責任」と批判します。
そして、“財政破綻論”を煽って増税を正当化するのです。逆らえば、国税庁による税務調査が待っています。
これにやられて財務省の広告塔に成り下がったのが朝日新聞です。(※詳しくは『財務省の秘密警察』大村大次郎著をお読みください)
こうして、政治家が国民の側に立とうとすると“世論の力”で潰されるという構造ができているのです。
「国会が最高機関」という建前と、“官僚支配”という現実
本来、主権者である国民が選んだ政治家こそが国家の主役であるべきです。
しかし、現実はこのようになっています。
こうして、「政治家=国民の代弁者」という原則は骨抜きにされているのです。だからこそ、「財務省に立ち向かう政治家」が必要なのです。
この構造を変えるには、次の3つの力が必要です。
政治家が「予算と税制の本質」を理解し、反論できる力を持つこと
国民が「誰が財務省に従っているか/逆らっているか」を見極めること
メディアではなく、国民が自ら情報を掘り起こす姿勢を持つこと
そして何より大事なのは、「増税=責任感」「減税=無責任」というレッテルを剥がすことです。