「瞑想のとき、どうして足を交差させて座るのだろう?」
そんな疑問を持ったことはありませんか?
私もあるとき、ふと立ち止まって考えました。あぐらをかく、結跏趺坐(けっかふざ)で座る──この「座り方」に、果たしてどんな意味があるのだろうと。
そして気づいたのです。
この姿勢には、心を整え、身体を安定させ、深い祈りや瞑想に導くための知恵が込められていることに。
身体が安定すると、心も静まる
足を交差させて座ると、身体の重心が自然と下がり、三角形の土台ができます。
これは、倒れにくく、長時間座っていても疲れにくい安定した姿勢。
骨盤が立ち、背骨は自然と天に向かって伸びます。
このとき呼吸は深くなり、意識は静けさへと向かっていきます。
まるで、「主よ、今ここに私を整えてください」と言っているかのように──。
気が整い、意識が内側へ向かう
東洋の伝統では、足を交差させることで「気」や「プラーナ(生命エネルギー)」が体外へ逃げるのを防ぎ、内に巡らせると教えられています。
手もまた、特定の形(印)を組むことで、気の流れを整えるとされます。
もちろん、西洋医学に「気」という概念はありません。
でも現代科学でも、姿勢や呼吸の深さが神経系に影響を与えることが分かってきています。
左右の脳が調和し、自律神経が安定する
不思議なことに、身体の左右を交差させる姿勢──つまり、あぐらや腕組みなど──には、脳の左右のバランスをとる作用があると報告されています。
また、まっすぐな姿勢と深い呼吸は、迷走神経を通して副交感神経を優位にし、リラックス状態を生むと言われています。
これは祈りや黙想、聖書の御言葉に耳を澄ませるために、とても大切な状態です。
「姿勢」は、神との出会いの入り口になる
祈りのとき、姿勢はただの形式ではありません。
心と身体を一致させる大切な要素です。
足を組むことで身体が安定し、呼吸が整い、心が静まる。
そうして私たちは、自分の内側にある「聖霊のささやき」に耳を澄ませやすくなります。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」
― 詩篇46篇10節(口語訳)
おわりに:かたちの奥にある恵みに気づく
あぐらをかいて座る、という一見当たり前の行為にも、深い意味が隠れています。
それは、神と向き合うための“整えの姿勢”。
ぜひ、次に静まるときには、自分の身体の感覚にそっと意識を向けてみてください。
その小さな気づきが、あなたの祈りをさらに深めてくれるかもしれません。