「企業もちゃんと消費税を払ってるじゃないか」という声に…
テレビなどでよく聞く意見に、こんなものがあります。
「企業だって消費税を払っているんだから、不公平ではないでしょう?」
たしかに、私たちが買い物をするときと同じように、企業もモノやサービスを仕入れるときに消費税を払っています。
しかし、実は、大企業には「消費税を取り戻す」裏ワザがあるのです。それが、「輸出免税」と呼ばれる仕組みです。
「輸出免税」ってなに?
日本の消費税は、基本的に国内の消費に対して課税されるしくみです。
つまり、外国に商品を売った場合(=輸出)は、消費税がかかりません。
ここまではいいとして、問題はここからです。
たとえば、自動車メーカーが車を輸出するとき、部品や素材の仕入れの段階では国内で消費税を払っていますが、最終的に輸出は非課税なので、売上に対する消費税は「ゼロ」です。
このとき、自動車メーカーは、「仕入れ時に払った消費税、返してもらえますか?」と国に請求できるのです。これが「消費税の還付金」です。
簡単に言えば、庶民は、買い物するときに消費税分の金額を商品価格に上乗せされた金額を支払って終わりですが、輸出企業は、仕入れのときに払った消費税がまるごと戻ってくるのです。
これは「ゼロ税率」+「仕入税額控除」という2つの仕組みが合わさってできています。
なぜこんな制度があるの?
この制度は、日本だけでなく世界中の「付加価値税制度(VAT)」に共通するもので、「輸出先の国で消費税が課税されるから、二重課税を避けるため」というのが建前です。
たしかに理屈としては正しいのですが、ここで重要なのは「誰が得をする制度になっているのか?」ということです。
消費税還付金の現実
国税庁の統計によると、消費税の還付金は年間数兆円規模で、その多くを大企業(とくに輸出産業)が受け取っています。
たとえば、トヨタ、ソニー、パナソニックなどの大手輸出企業は、数百億〜千億円単位で「払いすぎた消費税」が戻ってくるのです。
これは帳簿上「納税」ではなく、「国からの返金」です。
さらに問題なのは、「消費税が上がるたびに、法人税は下げられてきた」こと
ここで見逃せないのが、消費税導入や増税と連動するように、法人税が段階的に引き下げられてきたという事実です。
これは偶然ではありません。むしろ、「企業にとっての税負担を軽くし、その穴埋めを消費税で行う」という明確な構造です。
法人税が下がったのに、企業はどうなった?
法人税を下げれば、
投資が増える
賃金が上がる
雇用が増える
……はずでした。
ところが、現実には、
企業の内部留保は膨張(約555兆円)
実質賃金はほとんど上がっていない
非正規雇用が増え、生活は不安定化
つまり、減税の“恩恵”は社会に還元されなかったということです。
輸出企業の内部留保はどうなったか?
消費税の還付制度によって、輸出企業が消費税を実質的に負担せずに済む一方で、こうした大企業の多くは、利益を蓄積し続け、内部留保を増やしてきたことが注目されています。
経済産業省「法人企業統計」によると、1990年代初頭(消費税導入から間もない頃)に比べて、2020年代には企業全体の内部留保は約500兆円を突破しています(2023年度末で約555兆円)。
そのうち、大企業(特に輸出企業)に集中して蓄積されていると考えられており、これは労働者の賃金上昇と比べて極めて対照的な動きです。
消費税をはじめとする庶民の負担は年々増加している一方で、大企業は税の仕組み上、実質的に優遇されつつ利益を貯め込む、その結果、経済の循環が滞り、格差が固定化する構造ができあがってしまっているのです
つまり、国民が負担した消費税が、めぐりめぐって「企業の内部留保」となり、社会に再分配されないまま滞留している――この構造が長年続いてきたことは、見逃してはならない現実です。
これは悪いことなのか?
この仕組み自体が違法だったりズルいというわけではありません。国際的なルールに基づいて運用されてはいますが、次のような構造的な不公平が生じているのも事実です。
つまり、「払うだけの人」と「払っても戻る人」が存在するのです。
この仕組みがあることで、庶民は「税負担だけ」を担っているのに、大企業は「実質的に消費税を負担せずに利益を得ている」、その結果、税の公平性が崩れています。
さらに、政府は「税収が足りないから」と言って消費税率を引き上げてきましたが、実は増えた分の一部が企業への還付金として流れているという現実もあります。
「税金のしくみを知らないこと」が一番のリスク
多くの人は、「税金はきちんと取られて、きちんと使われている」と信じています。
ところが、仕組みを知ってみると、一体、誰のための税金なのか分からなくなります。
あなたが払った消費税、その一部が企業の「還付金」として戻っている――この現実を知ったとき、私たちは「もっと知ること」から始めるべきだと気づきます。