日本は長年、“緊縮財政”を続けています。
予算を増やさない
支出を減らす
増税で財源を確保する
この方針の中心には財務省がいます。では、なぜ財務省は緊縮をやめないのでしょうか?
答えは簡単です。緊縮財政でないと、財務省は権限を失うからです。
財務省にとって最大の権力は「予算配分」
財務省は、各省庁から上がってくる予算要求を査定します。
文科省が教育予算を出してきたら、財務省が査定する
厚労省が社会保障費を増やしたいと言えば、財務省が許可する
農水省が補助金を求めたら、財務省が判定する
つまり、財務省が“国の財布を握っている”ということです。
国家権力の本質は「予算を決められるかどうか」です。財務省はその中心にあり、絶対的な決定権限を持っています。
しかしもし、お金は国債で調達できる(財源は制約ではない)と国民が理解してしまったらどうなるでしょうか? 財務省の権限は激減します。
各省庁は財務省に依存しなくなる
政治家は「国債発行でやればいい」と思うようになる
財務省は予算査定の力を失う
だから財務省は必死でこう言います。
「財源がない」
「国の借金が大変だ」
「増税しないと社会保障は維持できない」
それは、国民に“財源の不足”を信じ込ませ、財務省の権限を守るためなのです。
「国債60年返済ルール」も、権限維持のためのロジック
財務省がよく使う説明があります。
「国債は60年かけて返しているから健全です」
しかし実態は借り換えです。返していないのに「返している」と説明する理由は、“国債は返す必要がある”という前提を国民に植え付けるためです。
この前提が崩れるとどうなるか。
国債は返済不要だと理解される
財源不足という物語が崩れる
財務省の「増税が必要です」という論理が成立しなくなる
だから、国債は返済している、返さなければならない、という説明が必要なのです。結果として、緊縮と増税が正当化されます。
消費税は「財源」ではなく「統治のための税」
国民からよく聞く言葉があります。
「社会保障のために仕方ない」
しかし、消費税収の多くは社会保障には使われていません。実際は国債の償還(借金返済)に使われ、社会保障は別の財源で賄われているのです。
それなのに、財務省がわざわざ「消費税=社会保障」と宣伝するのは、消費税を正当化し、国民に諦めさせるためです。
消費税は、景気が悪くなっても確実に税収が入る「取りやすい税」です。
売上があってもなくても、赤字でも黒字でも、小売店が吸収してでも必ず徴収できます。財務省にとって、これほど便利な税はありません。
緊縮は国民を苦しめても「財務省にとっては利益」
緊縮財政によって犠牲になるのは、家計(消費が冷え込む)、企業(利益が減る)であり、そして経済全体(成長が止まる)です。しかし、緊縮で困らないのは財務省だけです。
なぜなら、
予算が減れば、査定権限がより強くなる
「財源不足」を理由に増税を正当化できる
国民が弱まれば、国民が声を上げなくなる
財務省にとって緊縮は、自分たちの権限を最大化するための最適な戦略と言えます。
結論:緊縮は「財政健全化」のためではない
財務省は「財政危機」を演出し、国民に「増税は仕方ない」と思わせ、結果として予算配分を支配する権力を維持しています。
つまり、緊縮財政の本当の目的は、財政健全化ではなく「財務省の権限維持」なのです。
日本に必要なのは、国民の生活を守る予算、景気を回復させる投資、消費を刺激する政策であって、国民の生活を犠牲にした権限維持ではありません。

