農協は農家を守っている—価格決定力なき農業の現場を支える役割とは?

時事問題
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「農協が農家の利益を奪っている」
「非効率で時代遅れの組織だ」

そんな言葉を一度は耳にしたことがあるかもしれません。

いわゆる「農協悪玉論」は、1990年代以降、政治やメディアを通じて広く流布されてきました。しかし本当に農協は“悪者”なのでしょうか?

経済評論家の三橋貴明氏や元JA全農常務理事の久保田治己氏の主張に耳を傾けると、むしろ農協こそが、日本の農家を「市場の弱者」から守る防波堤として機能してきたことが見えてきます。

 

市場での価格決定権を持たない「農家」という存在

農業というのは、基本的に生産者が価格を決めることができない産業です。

たとえば、米や野菜、果物を出荷する農家が「これを1個500円で売りたい」と思っても、流通や小売の段階で価格が決まってしまえば、その意志は反映されません。

ましてや、個々の農家が直接大手スーパーや商社と対等に交渉できる力は、現実的にはほとんどありません。

このような「価格決定権を持たない農家」を支えてきたのが農協です。

 

共同出荷と販売で“交渉力”をつくる

農協は、個別農家が出荷した農産物をまとめて取り扱い、集荷・出荷・販売を一手に担うことによって、バイヤーに対する一定の交渉力を確保してきました。

この機能がなければ、農家は中間業者に足元を見られて安値で買いたたかれるリスクが高まります。

農協は、そうした搾取構造から農家を守るバッファー(緩衝材)でもあるのです。

 

「中抜き」ではなく「共益」の仕組み

農協を批判する人々の中には、「農協が中間で利益を抜いている」とする声もあります。

しかし農協は株式会社ではなく、組合員によって運営される協同組合です。利益は組合員に還元され、運営方針も組合員の議決によって決まります。

つまり、農協の経済活動は「自分たちのために自分たちで行う」共益的な取り組みであり、営利企業とは本質的に異なる存在です。

 

農協なき未来に待つのは「農家の孤立」

仮に農協が解体されたとしたら、農家はどうなるでしょうか?

肥料や資材は高騰し、販売ルートの確保は個人の責任になり、出荷価格は買い手の言いなりになる。これはまさに“市場競争の荒波”に、何の装備もないまま放り出されるようなものです。

農協を通じての共同体的な支えがあるからこそ、小規模農家もなんとか営農を続けられているという実態があります。

 

結論:農協は「守り手」である

農協を変えるべき点はあるかもしれません。しかし、その存在自体を「悪」と断じてしまうのは、あまりに短絡的です。

農協は、個々の農家が抱える経済的弱さと交渉力のなさをカバーし、地域全体の生活と農業を支える守り手なのです。

「農協=悪」というイメージに疑問を持ったとき、ぜひその背後にある現実と仕組みに目を向けてみてください。

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