▲ 晴れわたる空のように、いつも心を明るく保てたら…と思うけれど。
私はかつて、どんな状況でも「前向きに考えればうまくいく」と信じていました。
何があっても「これはきっと意味がある」「乗り越えられるからこそ与えられた試練だ」と自分に言い聞かせ、感情を無理に抑え込みながら笑顔を作っていました。
でも、あるとき気づいたのです。
私の“プラス思考”は、ただの現実逃避であり、心の悲鳴にふたをするための道具になっていたことに――。
現実から目をそらしていた自分
▲ 無理に笑顔を作ることが、逆に自分を苦しめていた。
以前、私は職場で人間関係に悩んでいました。
明らかにパワハラに近い言動を繰り返す上司に対して、「私の受け取り方が悪いんだ」と自分を責め、
「きっとこの経験も将来の糧になる」と無理に納得しようとしていました。
でも、何も解決しないまま、私は心身ともに疲れ果てていきました。
本当は助けを求めるべきだったのに、「強くなければいけない」と思い込んでいた私は、それができなかったのです。
悲しみや怒りを「感じてはいけないもの」と思っていた
▲ 感情を閉じ込めた部屋の中に、一人きりだった。
ある日、友人に悩みを打ち明けたとき、「そんなふうに怒っちゃだめだよ、もっとポジティブに考えなよ」と言われました。
その言葉が、なぜかすごく刺さりました。
「ああ、やっぱり自分の感情は間違っているんだ」と思ってしまったのです。
けれど、後から気づきました。
悲しみや怒りは、間違った感情ではないということを。
それは私の心が「助けて」と叫んでいた証だったのです。
「がんばれば報われる」の裏にある落とし穴
▲ 努力の積み重ねが、報われないと感じたとき。
別の時期には、「うまくいかないのは自分の努力が足りないからだ」「もっとポジティブに考えれば人生が変わる」と、自分を責め続けていたこともありました。
でも実際には、どれだけ頑張っても報われないこともあるし、
環境や運、不確定な要素が結果に大きく関係してくることだってあります。
すべてを“自分の思考のせい”にするのは、真面目な人ほど苦しむ結果になるのです。
プラス思考は「敵」ではない。でも「万能薬」でもない
▲ 本当の前向きさは、現実と向き合った先にある。
誤解しないでください。私はプラス思考そのものを否定したいわけではありません。
むしろ、それはとても強力な支えになることもあると、今でも思っています。
ただ、プラス思考が「自分の本音を押し殺すための仮面」になってしまったとき、
それは心を静かに蝕んでいく“落とし穴”になるのです。
正直に生きるということ
▲ 自分の弱さを認めたとき、初めて心が癒やされていく。
もしあなたが今、前向きであろうと頑張りすぎて、心が疲れてしまっているのなら、
どうか立ち止まって、自分の本音に耳を傾けてあげてください。
怒ってもいい、泣いてもいい、弱音を吐いてもいい。
そのすべてが、あなたの大切な一部だからです。
プラス思考は、現実と向き合ったその先にある「希望」として、
本当の意味で力を発揮するのだと、私は今ようやく理解できるようになりました。