SNSで流れてくる、誰かのキラキラした毎日。
成功している人、夢を叶えた人、輝いて見える人。
画面を見ながら、ふと心に浮かんだ言葉は――
「私は、いったい何をしているんだろう」
SNSを見ては「自分は何をしているんだろう」と焦る
何気なく開いたSNSで、同年代の人たちが仕事で活躍していたり、
理想の暮らしを手に入れていたり、夢を語っていたりするのを見て、
なぜか胸の奥がザワザワしてしまう。
もちろん、その人たちを羨んでいるわけではない。
むしろ応援したい気持ちもある。
それでも、画面を閉じたあとにふとこみ上げてくるのは、
“自分だけが取り残されているような感覚”。
🔍補足:
SNSは、人の「良い面」だけが切り取られて見える場所です。
そこに映るのは、“編集された人生の一部”であって、すべてではありません。
それを“現実の基準”と捉えると、必要以上に自分を低く感じてしまうことがあります。
“成功してる風”の誰かと、自分を比べて苦しくなる
「もっと努力しなきゃ」
「私も何かしなきゃ」
そう思って頑張ってみても、なんだか空回りしてしまう。
そしてまた、誰かの「成果」を見ては、自分の「今」と比べて落ち込む。
「このままじゃだめだ」「もっと目標を持たなきゃ」
でも、心のどこかでは、それに疲れている自分もいる。
比べてしまうたびに、
“今ここにある自分の小さな幸せ”を見失っていたことに、私はあとから気づきました。
本当に欲しかったのは「認められること」だった?
振り返ってみると、私が「何者かになりたい」と思っていたのは、
誰かにすごいと思われたいからでも、名声が欲しいからでもありませんでした。
ただ、
「あなたはそれでいいんだよ」
「そのままのあなたで、十分だよ」
そう言ってほしかった。
そう思えなかっただけなんです。
つまり、“何かになる”ことで価値を得ようとしていたのではなく、
すでにある自分の価値を信じられなかっただけだったのです。
🔍補足:
自己価値を「成果」や「肩書き」と結びつけてしまうと、
それを失った瞬間に不安定になります。
本当の安心は、「何をしているか」ではなく、「どう生きているか」に根ざしています。
等身大の人生を、丁寧に生きてみる
最近は、「もっと上を目指さなきゃ」と思ったときこそ、
立ち止まって「今、自分は何を感じてる?」と自分に問いかけるようにしています。
仕事でも人間関係でも、「すごくなくてもいい」「ちょっとずつでいい」
そう思えるようになっただけで、肩の力がふっと抜けました。
私のペースで、私の人生を生きていい。
たとえ誰にも注目されなくても、私が“心から納得している日々”を送れていれば、それこそが豊かな人生なのだと、今は思えるようになりました。